ワーゲンバスのストーリー
なぜここにワーゲンバス?
たくさんの人と心地よい時間を共有したい。店主・寺尾がカフェの開業を思い立ったとき、ワーゲンバスを店に置くことにした。
このクラッシックカーは不思議な車だ。見ているだけでカリフォルニアの風を感じ、乗った瞬間から素敵な旅が始まる。いつも自分をわくわくさせてくれたワーゲンバスを店のパートナーに選んだのだ。
思い出のワーゲンバス
ワーゲンバスとの出会いは子供のころにさかのぼる。両親が運転免許を持たなかったため、寺尾の家には自家用車がなかった。昭和40年代、日本はモータリゼーションの時代を迎え、周囲の家が次々と自家用車を持つようになる中、少年はクルマへの憧憬を深めていった。
ある年、家族で軽井沢へ旅行に出かけた。セレブが集まるテニスコートの駐車場で偶然見かけたのがワーゲンバス。愛嬌のあるフェース、ずんぐりとした可愛らしいボディ。寺尾は一気にとりこになった。いつか、このクルマに乗りたいと心に決めた。
大学生になって免許を取得、最初に乗ったのは親名義の国産車だった。社会人になってからスポーツカーを購入、次にベーシックなフランス車に買い替え再びスポーティーなフランス車のオーナーとなる。以降は新車を買うことはなく、サーブ、メルセデス、ランドローバーなど様々な中古車を乗り継いだ。新車では手の出ないような廃車寸前の高級車を、かばいながら乗るのが楽しかった。
ワーゲンバスを忘れたわけではなかった。だが、10年落ちの中古車に手を出しても30年以上経ったクルマを買うことに不安があった。それでも緑と黄色の2色に塗り分けられた1台といまはない世田谷の空冷ワーゲン専門店で出会う。
維持するのは思った以上に大変だった。走行中にマフラーが落下したこともある。ブレーキランプが点かないこともしょっちゅうだった。それでも後悔しなかった。暇さえあれば、鎌倉の海に出かけ海岸沿いを走った。いつもよりも風景が輝いて見えた。
愛着はあったが、あまりのトラブルの多さにいったん、バス生活に終止符を打つことにした。再び、10年落ちの中古車を乗り継ぐ。頭の中ではいつもワーゲンバスのエンジン音が響いていた。
出版社を中途退職してフリーランスになったとき仕事のプロモーションにつながると理由をつけてまたワーゲンバスを手に入れた。オレンジと白のポップなカラーで目立ち実際にリアウインドーに貼ったURLのおかげで仕事が舞い込んだりした。
できれば一生乗り続けたい。だが、フリーランスの収入は安定しなかった。仕事にワーゲンバスを使うのは難しいときもあり普通の乗用車と2台持ちだったが、維持しきれず手放すことを決めた。引き取られていくバスの後ろ姿に涙がこぼれた。
そして人生3台目の購入決意
2度の別れを経験したワーゲンバス。カフェ開業に際して、人生3台目となる購入に迷いがあったのも事実だ。今度手に入れたら、絶対失いたくない。いくつかの専門店を回ったが、ピンとくるクルマに出会えなかった。
実は過去に購入したバスは全て同じ人からだ。店の看板となるようなタイプ2を探していると告げるとまだホームページで紹介していない1台があるという。早速、立川まで現物を確かめにいく。
目を疑うほどのコンディション。とても60年以上前のクルマとは思えない。聞けばカリフォルニアでレストアされて数年前に日本のコレクターが購入したものだという。軽井沢で初めて見たワーゲンバスの姿がよみがえった。即決だった。店のイメージも浮かび、頭の中でカリフォルニアの風が吹いた。
忘れられない旅へ
最後のお客様が帰り、店の片付けが終わった後しみじみとワーゲンバスを眺める。これまで、どれだけたくさんの笑顔を運んできたのだろう。ロングビーチの海でサーフィンするオーナーをパーキングから目で追っていたことがあったかもしれない。
遠く離れた日本・渋谷の地で、再び自分にスポットライトが当たる。今日もたくさんの人が微笑んでくれた。店の前で記念撮影をするカップルがいた。後席に乗り込んでなかなか降りようとしない子供たち。空冷ワーゲンについて熱く語るマニアも来店した。
コイツをパートナーに選んで良かった。多くの人が幸せな気持ちになって帰っていく。そして店主・寺尾も、忙しかった1日を振り返りまた明日頑張ろうなとバスに話しかけ店の明かりを消す。暗くなった店内で、遠くカリフォルニアの夢を見ているに違いない。
いくつものストーリーを創造してきたドーブブルーの1台。実はまだ現役で、普通にドライブできるのだ。カフェテラオでは、ワーゲンバスで行くピクニックのイベントがある。
あなたも一緒に出かけてみませんか。近郊への数十キロの道のりが、忘れられない旅となることを約束します。
※2020年12月8日に実施したバス・ツアーのレポートはこちら。
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※店主・寺尾豊の紹介はこちら。