Master’s profile

コーヒーを淹れたりワインの香りを確認する店主・寺尾豊

店主・寺尾豊の紹介と、カフェテラオに込めた思い

雑誌記者からカメラマン、そして料理人へ。

最初から飲食店のオーナーを目指していたわけではない。ここまでの道のりは長く曲がりくねっていた。大学で写真工学を学んだ後、あるメーカーを経て、文章を書く仕事をしたいという以前からの夢を実現するためにビジネス雑誌の編集部へ転職。さまざまな取材・撮影の場を経験。副編集長を務めた後、映像部門へ異動、写真撮影と動画制作に携わる。

2009年に退職し、写真撮影、映像制作などを手掛ける個人事務所を設立。本業の傍ら、飲食業界に広く深くコネクションを作り、グルメライターとして活動。いつの間にか、取材するだけでなく自らも挑戦してみたくなり、この世界に飛び込むことを考え始めた。

飲食業界に深く関わることになったきっかけ

フリーランス2年目の2011年3月、東日本大震災に遭遇。世の中のムードは大きく変わった。たまたま目にしたグルメ界の大物・柏原光太郎氏の呼びかけ「自粛などせず外食をして経済を活性化させよう」の主旨に賛同。

フェイスブックを中心に広がっていた共鳴者の輪に入り、いくつもの会に参加。客として食事を楽しむだけでなく、シェフやオーナーとも広く交流。人気が集中して予約が難しい店で、仲間を集めて食事会を開催するなど、飲食業界とのディープな付き合いを続けてきた。

飲食業界のパーティーでのスナップ
飲食業界のパーティーにてバーテンダー世界一にも輝いた保志さん他と
旧築地市場のセリ場にて某寿司店店主らとのスナップ
旧築地市場のセリ場にて某著名寿司店店主らと

客の立場から転身

やってみないと分からないことがある。そんなことは誰でも知っている。だが、実際に一歩を踏み出すには大きな勇気がいる。飲食の世界を取材するだけでなく、自分がオーナーとなって厨房に立つことに意味があるのではないかと思うようになった。

これまでマスコミの人間として、どこか高みの見物で飲食を捉えてきた。自らが身を置くことで見える世界があるに違いない。無謀な挑戦だとのアドバイスもあったが、ブレーキはかけられなかった。

そうしてカフェテラオが始動

客席からではなく、厨房からの風景は、想像していた以上に違っていた。飲食業を成功させている友人たちは、取材では伝えられない大きな苦労を乗り越えていることが分かった。新たな世界への挑戦は学ぶことの毎日。人生を惰性で乗り切るのはまだ早すぎるとの判断は間違いではなかった。

それでも丁寧に仕込んだ食材を、来店客が少なくて破棄するときは辛い気持ちになる。店を維持できずたたみ、路頭に迷う自分の姿を想像して眠れなくなる。平坦な道を選ばなかったことを後悔しても仕方ない。粛々と自分の信じたことをやり続けるだけだ。

何よりも幸せに感じるのは「すごく美味しかったよ」と自分に声をかけて帰って行くお客様の笑顔。店主・寺尾が求めていたのは、自分が好きな世界への共感だ。食事だけでなく、クルマ、音楽、酒、アメリカへの思いなど、これまでの人生で出会って愛してきたものを、多くの人と分かち合いたいとの気持ちが、自分を叱咤する原動力となっている。

開店してしばらくは、新型コロナの感染拡大防止のために、飲食店にはさまざまな制約が課されていた。制約はすべて受け入れた上で、それでも工夫をすればやれることはたくさんある。メニューも、営業の形態も、さまざまな模索をしながら乗り越えてきた。

これからのカフェテラオ、どんな風になってゆくのかは自分でもわからない。でもそれで良いと思う。自分で選んだカフェ・オーナーとしての人生を誇りに感じて、これからも前へ前へと進んで行く。

こちらも是非読んでみてください。

■ Monologue

かつては文章書きを仕事にもしていた寺尾豊が、開店1年目に書いた、料理や酒、その他いろんなこだわりについてのコラムです。
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■ カフェテラオの1周年

2020年8月、コロナ禍の中で開店したカフェテラオ。開店からの1年間を写真で振り返ってみました。
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